伝統七百有余年、後鳥羽上皇の御番鍛冶、即ち、刀匠の元祖とも言われる則宗が、作刀に菊の御紋を頂き、その下に横一文字を彫った事から、通称菊一文字と言われる様になりました。作刀を中止した明治以後は、その卓越した技術を基に京都に於いて料理用、工匠用、生花園芸等、諸刃物の製作に進出、その時、名刀菊一文字と言われたその名を屋号とし、さらに鍛冶の紋と言えるクツワ印の紋を入れ、高級刃物なら 菊一文字 といわれ現在に至ります。